2011年 10月 03日
ベルリン日記④ 街の建造物あれこれ |
さて、今回は街のあちこちで見かけた建造物のお話。
またまた建築の話でごめんなさい。
こちらはシュプレー川沿い、Märkishes Museum付近で見かけた建物のエントランス。エントランス上の年号に何の意味があるのかはわからないのですが、思わず撮ってしまった一枚。何かのオフィスが入っているようですが、同じ建物がホテルにもなっていました。
こちら所変わって、S-bahn のFriedrich Straße駅。ベルリンの駅は古い駅も新しい駅(例えば、今回登場はしませんが Hauptbahnhof 中央駅はかなりモダンな建築)が混在していますが、この駅は前者ですね。
この駅の名前の通り、駅の南北に伸びるFriedrich Straßeはショッピングセンターやスタバ、マクドナルドなどがある繁華街の一つ(ちなみにこの手の繁華街にはあまり興味がないので、今回のブログでは省略とさせていただきます)。
またまた所変わって、こちらはベルリンの壁跡地を訪れた際に通った Invaliden Straße 通り沿いで見つけた、ひときわ目立つモダン建築ですが、その実体は、
警察署でした!
こちらはベルリンの壁跡地のある Bernauer Straße 沿いの旧西ベルリン側にあった建物。こちらもかなり個性的な建築ですが、おそらくこれは学校だと思われます(近くで見ていないので確実情報ではありません)。
こちらはベルリン一の繁華街 Potsdamer Platz ポツダム広場。ここは東京で言うと丸の内みたいな感じかな?至る所にピンクのチューブ見たいのがありますが、これは何なのか私にはわかりません。
こんな風な高い建物がそびえ立っています。この建物の裏にはソニーセンターがあり、そのすぐそばにはあの Hotel Ritz Carltonもあります。
このポツダム広場は東西が分断されていた22年前までは無人地帯の荒れ地だったところです。今ではそんな想像もできないくらいに繁栄しているポツダム広場。東西が統合されてからダイムラー・ベンツグループを筆頭にソニー、そして有名なイタリアの建築家レンゾ・ピアノなどがこの広場の復興プロジェクトに参加し、今のこの姿に生まれ変わったわけです。
たった20数年でここまでの姿に生まれ変わる、もちろん外資の参入などもあったとはいえ、ドイツという国の底力を目の当たりにするようです。今ではヨーロッパ一の大国ドイツ、その理由もわかる気がするし、さらにはその姿はどこか日本の戦後からの復興と重なるものがあるような気がします。
さてポツダム広場からソニーセンター、さらに Tiergartenというベルリン一の巨大公園の方に進んで行くとこんな建物が目に入ります。
建物沿いをぐるっと進んで行くと、
ベルリン・フィルハーモニーのエントランスにたどり着きました。個性的な建築ですが、なんていうか、やっぱり威厳がある感じ。
訪れたのが日曜日の夕方、残念ながら日曜日の公演はありませんでした。
ベルリンフィルからTiergartenの入り口方向に戻り、その入り口に平行に通る道を北上するとブランデンブルグ門があります。夕方で写真がうまく撮れなかったのですが(カメラの性能が悪くてすみません)、ブランデンブルグ門の手前にこの写真の場所があります。
これは「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」、略称ホロコースト記念碑なるものです。その名称とは裏腹にこの記念碑と呼ばれる石の集合体があまりにユニークであるので、観光客をはじめ、人々は思い思いにその石に座ったり、迷路のように歩いたりなどしています。
しかし、この石の上に上るのはNG!石の上に上ったとたんにすかさず係員が駆けつけ、「ここ上っちゃダメです!」と注意するんです(私は上っていませんよ。でもその現場を何回も見ました)。
高いものは4メートルくらいあるので、危険と言えば危険ですね。でも係員のあまりの素早さに思わず笑ってしまいました。
ちなみにこの通り街路樹がすごくきれいで、本当はお見せしたかったのですが、カメラの性能の悪さにより、夕方で写真がうまくとれませんでした。ごめんなさい。
さて最後はベルリンの壁のもう一つの有名な跡地「イーストサイドギャラリー」(後日登場予定)近くのれんが造りの鉄橋。その鉄橋もさることながら、その後ろに建つ建物の模様がタペストリーのパターンのようで、なかなかユニークですね。
そしてその鉄橋からは人型のモニュメントが!(このモニュメント、地図にも出てたにもかかわらず説明がなく、調べてもみましたが、今のところなんだかわからないのです。わかったら報告します)。
そんなわけで、そろそろ建築の話は終わりにして、次回はベルリンの街並を少しずつ紹介していきます。
またまた建築の話でごめんなさい。
この駅の名前の通り、駅の南北に伸びるFriedrich Straßeはショッピングセンターやスタバ、マクドナルドなどがある繁華街の一つ(ちなみにこの手の繁華街にはあまり興味がないので、今回のブログでは省略とさせていただきます)。
このポツダム広場は東西が分断されていた22年前までは無人地帯の荒れ地だったところです。今ではそんな想像もできないくらいに繁栄しているポツダム広場。東西が統合されてからダイムラー・ベンツグループを筆頭にソニー、そして有名なイタリアの建築家レンゾ・ピアノなどがこの広場の復興プロジェクトに参加し、今のこの姿に生まれ変わったわけです。
たった20数年でここまでの姿に生まれ変わる、もちろん外資の参入などもあったとはいえ、ドイツという国の底力を目の当たりにするようです。今ではヨーロッパ一の大国ドイツ、その理由もわかる気がするし、さらにはその姿はどこか日本の戦後からの復興と重なるものがあるような気がします。
訪れたのが日曜日の夕方、残念ながら日曜日の公演はありませんでした。
これは「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」、略称ホロコースト記念碑なるものです。その名称とは裏腹にこの記念碑と呼ばれる石の集合体があまりにユニークであるので、観光客をはじめ、人々は思い思いにその石に座ったり、迷路のように歩いたりなどしています。
しかし、この石の上に上るのはNG!石の上に上ったとたんにすかさず係員が駆けつけ、「ここ上っちゃダメです!」と注意するんです(私は上っていませんよ。でもその現場を何回も見ました)。
高いものは4メートルくらいあるので、危険と言えば危険ですね。でも係員のあまりの素早さに思わず笑ってしまいました。
ちなみにこの通り街路樹がすごくきれいで、本当はお見せしたかったのですが、カメラの性能の悪さにより、夕方で写真がうまくとれませんでした。ごめんなさい。
そんなわけで、そろそろ建築の話は終わりにして、次回はベルリンの街並を少しずつ紹介していきます。
by momo8175
| 2011-10-03 16:10
| ベルリン日記